長島愛生園
瀬戸内海の長島にあるハンセン病による後遺症が残る方の療養施設。
今はハンセン病は簡単に治りますが、1945年頃までは治療方法がなかったために、1930年に患者を強制隔離するために作られたそうです。
当時は家族にハンセン病患者がいると村八分になってしまったそうです。



長島愛生園歴史館


ハンセン病についての資料
(昔はらい病と言われていたそうです)


らい予防法が廃止される1996年まで続いた隔離政策等のため、差別や偏見が根強く残ってしまったそうです。


ハンセン病になると抹消神経が麻痺して感覚がなくなってしまうため、暑さ寒さや痛みなどがわからないので、食器や日用品などが工夫されています。
火傷や怪我に気づくのが遅れ、手足や鼻などが取れてしまうことがあるそうです。


長島と本州を結ぶ橋
隔離政策と、差別偏見のため、橋を作るのに反対がありましたが、1988年に開通したそうです。


ハンセン病患者専用の収容桟橋跡


入所するための手続きのため1週間ほど過ごすところ
クレゾールを入れたお風呂に入ったそうです。


収容者の監房跡
逃走などをすると収容されて食事制限などの懲戒が行われたそうです。


納骨堂(患者の家族に影響を与えないように氏名のほとんどは偽名です)


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